大東流の歴史

大東流と合気道

合気道の創始者、植芝盛平(1883-1969)は、武田惣角の高弟の一人でした。惣角が植芝に多大な影響を与え、大東流は合気道の源流であると言っても過言ではありません。 武田惣角と植芝盛平は、大正4年(1915)北海道遠軽の地で、初めて出会いました。惣角の技に驚嘆した盛平はすぐさま惣角の門人となり、 大東流を約5年間熱心に修行しました。盛平の大東流に対する執心ぶりは、和歌山県田辺市からの開拓団員たちと住んでいた北海道白滝村に武田惣角を呼んで住まわせるほどでした。 惣角は盛平の家に一時期身を寄せ、大東流を盛平に教授しました。大正8年(1919)後半、盛平は父の病気の知らせを受けて、 家と家財道具一式を惣角に残して急いで白滝を去りました。

クリックで拡大 その後、惣角と盛平は大正11年(1922)、惣角一家が盛平の綾部の家に約6ヵ月間過ごすことになって再会します。 当時大本教団に所属していた盛平は大本教の出口王仁三郎のすすめもあって、自宅内に道場を建て大東流を教えていました。 綾部での滞在の終わりに、惣角は、惣角に代わって大東流を教授できる「教授代理」を盛平に授与しています。後に植芝は、当時、 大東流の最高の免許証であった解釈総伝証を授かりました。二人の関係が以前ほど緊密でなくなってからも、その後の10年間には数回顔を会わせています。

歴史資料によると、植芝は、およそ20年間にわたり大東流を稽古していました。その後、徐々に変更を加え、ついに合気道を形成するにいたりました。